ネカフェ難民

僕が浪人生だったころの話。

勉強そのもののに飽きて、ゲームセンターやパチンコ、アダルトショップなど行ったことのなかった娯楽施設がどんなものかを知る社会勉強というと称して暇を持て余して遊んでいた。

とある日。どうしても家に帰る気分にならず、どこかしらに泊まっていこうと。とりあえず寝床が欲しいと思い、行ったこと無かった好奇心と金欠からネカフェに泊まろうと思った。

ネカフェがあるのはビルの8階。ワクワクしてエレベーターから降りる。降りてすぐ思た。眩しくて、変なにおいがする。と真っ白い照明に囲まれた人工的な空間と、たばこの臭いと芳香剤とよくわからない匂いが混ざったカオスさ。ここがネットカフェかと当時思ったものだった。

そこで少し時間をつぶす。指定されたブースに行き、漫画を読み、ドリンクバーでジュースを飲む。結構快適やん。漫画を読みつつ、あぁここで火事が起きたら、死ぬんだろうなとも考える。

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漫画を探しにブースから出たとき、見るからに浮浪者のような爺さんがいた。こういう人も利用するんだな。少し驚いた。もしかしたら、店に入った時のカオスな匂いの一つの構成要素なのかもしれないと思った。

また、とある客がシャワールームに向かているのを見た。はっきりと顔は見えなかったが、とにかく疲れているように見えた。

その時自分は思った。色々な衝撃を受けて頭の中でつぶやいた。

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本当にいろんな人が利用しているんだな。なぜ、ネカフェにシャワーあるのだろう?娯楽施設としての需要だけではないのか?もしかして泊っている人がいるのではないだろうか?

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後に「ネカフェ難民」という言葉を知り、社会問題の一つであるということも知る。また、ホームレスというのは野宿している人だけではなくて、住む場所が不安定な人のことも広義の意味で含むということを知った。

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今僕は、ネカフェ難民をテーマにして建築設計課題に取り組んでいる。

ネカフェ難民というのは、住居が不安定な状態にある人の総称であり、ネカフェに住んでいる人そのものを指す言葉ではないと考えている。安定した状態の住居がない人を表すシンボルとしての言葉のネカフェ難民。その概念には、友人の家に居候する人や、サウナなどのカプセルホテルで生活する人も包括すると考える。

ネカフェ難民の大きな問題点は3つではないかと考える。

①住環境の悪さ

②住所がない

③コミュニティがない

 

①は言うまでもない。狭いしうるさいし、住むための場所ではない。②住所がないのは、色々不都合だ。長期的に雇ってもらえる仕事を探すのは難しいし、行政サービスを受けるのが困難になる。

③に関して、ここが自分の今回の設計のポイントになると思っている。かつて労働者の人はドヤ街や寄せといった場所で生活していた。そこでは、コミュニティが生じ、人と人とのつながりは存在した。(もちろん良い面悪い面ともにあったことは理解している)そういった労働者は現在、都市のネットカフェに点在することとなる。そこではコミュニティは存在しない。唯一、非空間的ネット社会でコミュニティに帰属するのである。

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そこで、今回の設計で考えていること、作りたいものとしては、

①労働者のコミュニティとしてかつての下町のような相互扶助の空気のある建築

②労働者以外の人間にも魅力が感じられるようなランドスケープ

の2点を考えている。なかなか、この2つは両立させるのは難しいなと考えている。しかし、当事者意識が大きく感じられる問題。この問題にきちんと正面から向き合って魅力のある建築を提案できたらと思う所存である。

(完成したら、また投稿するんでお楽しみに)

なぜブログをはじめたのか

なぜブログをはじめたのか。

それは、自分の思考や内省の結果を、発信したいと思ったからである。

僕は性格上、内省し思考する癖がある。頭の中では常に小さな自分が独り言をぶつくさ言って考え事をしている。普段はそれを0秒思考といって、A4の紙に書き連ねている。その紙は保存しているのだが、分厚い束となっている。自分自身の構成要素として、自分でじっくり考えるということがある。

しかし、最近思った。自分の中にとどめられたアイデアには何も意味がない。そこから何かを生み出さないと、変化を生じさせることはできない。この考えたことを自分の手元だけにおいておくことは、もったいない。と。つまり、自分の中にとどめられたアイデアそのものには、意味が無いということ。誰かに伝えたり、形にしないと意味に欠ける。

考える内容は多岐にわたる。将来のことや、恋愛のことなどといった、プライベートなことから、社会問題といったマクロな視点のことまで。

何かしら、それらで考えたことを通して、誰かの参考になるとうれしいと思うし、自分という人間の人格を理解してもらえるようになっていくとうれしい。

(補足:僕は、自分自身外から見られる自分と、内側の自分が違うというギャップを感じる。中二病っぽくて恥ずかしいが。一般的な社会生活に溶け込むために、内面的な部分を制御しているように思い一種の息苦しさのようなものを感じてしまったり。このブログでは内面世界を前面に出していくことで、一般社会からのアジールとしてこのブログを運営できたらと思う)